無題

2019年02月10日

昨年読んだ本の一節が、小さなとげが刺さったままのようにじわりと痛い。

”個人の知的活動を支援する「パーソナルコンピューター」という概念を最初に提唱した人物にアラン・ケイという人がいます。そのケイが来日したおり、国立博物館で螺鈿細工の印籠を見て「日本人は200年も前にこんなにクールで美しいモバイルを作っていたのに、なんでいまはあんなに醜い携帯電話しかつくれないのか?」と怒っていたことがありました。生活の中から失われた「美」は、やがてそこに暮らす人の感性を鈍麻させ、鈍麻した感性を持った人々が、マーケティングスキルを頼りに作りだすさらに醜悪なプロダクトを世の中に溢れさせ、社会の美を根こそぎにしていくことになります。”(世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?山口周著)

アマチュア合唱団がオーケストラと歌う曲を仕上げるのは、本番間近になってようやく見えてくるものが多く、それまではただただひたすら訓練という感じだなぁと思います。現代に生きる私たちがきちんと演奏することは、クラシック作品を演奏する最低限の「美」だと思うから、難しくても、落ちこぼれそうでも頑張って続けてみよう。