■『ロッチュさんとの対話』 郡司 博  1997年発行

「ハンス=ヨアヒム・ロッチュ」はバッハから二世紀半後の聖トーマス教会、第30代カントール(音楽監督)として世界的に活躍した音楽家です。日本に於いてもこのバッハ直系の偉大なマエストロと郡司先生率いる合唱団は、いくつもの忘れがたい数々の演奏を残しています。2013年84歳でお亡くなりになったのち、今もなお多くの合唱団員から愛されるロッチュ先生。

『ロッチュさんとの対話』と題し1997年に合唱団から発行された小冊子があります。

〈バッハ、ドイツ統一、そして音楽する楽しさ〉対話ーーH.J.ロッチュ*郡司 博

〈日本における四週間〉H.J.ロッチュ

〈ロッチュさんの後ろ姿〉郡司 博


その中から〈バッハ、ドイツ統一、そして音楽する楽しさ〉より抜粋 聞き手:郡司博

ドイツ統一で音楽の世界はどう変わったか

郡司:次に、音楽からちょっと離れて、僕個人の興味あることを伺いたいと思います。

東西ドイツ統合は、当初は夢の実現として歓迎されたわけですが、僕がここ二年間のうちにあわせて四週間ほどベルリンに滞在して見聞きしたかぎりでは、いろいろ問題が出てきているな、という印象を受けました。文化面でいえば、少なくない数のオーケストラが解散を余儀なくされたり、オペラハウスも少なくなっているともきいています。芸術の分野でどういう変化が現れていますか。

ロッチュ:それについて短い時間でお話しすることはむずかしいですね。東ドイツと西ドイツは二つの極度に異なる国家でした。私は東ドイツのことについてしか説明できませんが、東ドイツは文化にひじょうに多くのお金を支出していました。もちろん、ありあまるほどというわけではありませんが、とにかく文化にはお金を注いでいました。私が知っている他の国々にくらべても、ずっと多かった。東西統一が進むにつれ、この統合ドイツに多くの問題が生じてきました。現在はヨーロッパのほとんどの国がそうですが、ドイツも非常な財政難に陥り、あらゆる分野で予算削減が行われています。

「新・連邦州」と耳ざわりのよい名前(注2)でよばれることになった旧東ドイツ地域に関しては、まず、旧西ドイツ地域とくらべて「多い」と判断される分野から、どんどん削られています。もちろん「旧・連邦州」(旧西ドイツ)にも著名なオーケストラは多数ありましたが、旧東ドイツでは、かなり小さな規模の市町村にも、ちゃんと独自の劇場とオーケストラがあったのです。いまやそうした劇場やオーケストラで人員削減や閉鎖・合併が行われ、ドイツの中・東部では、人々のあいだに、とくに音楽家たちのあいだに不安が広がっています。自分の将来に危機感を抱いているのです。

現在、私が判断できる範囲でいえば、聖トーマス教会合唱団はそれほどひどい状態ではないようです。東ドイツ時代にも、必要なものは申請すればすべて国から与えられていましたから、それほど苦しくはありませんでした。もちろん私たちは、実際にどうしても必要なものしか申請しませんでしたが……。そして現在、聖トーマス教会合唱団は、ライプチヒ市でももっともお金のかからない機関のひとつです。たとえば約200人の音楽家を抱えるゲヴァントハウスなどは、もちろんそれほど安上がりにはいきません。歌劇場もお金がかかります。チケットが昔よりずっと値上がりしてしまい、以前のように頻繁には劇場へ通えません。また、旧東ドイツ時代にはけっして聴くチャンスのなかった外国からの客演も増えましたが、これもおそろしく高くつきます。

そんなこんなで、なんとなくいきづまった状況ですが、いつかはここから脱することもできるだろうという希望はもちつづけています。私は現在オーストリアで仕事をしていますが、そこでも同じような問題を抱えています。この国だって、文化財政に余裕があるわけではありません。

スポンサーの援助で文化が存続している

ロッチュ:もうひとつコメントをさせてもらえば、社会主義ないし共産主義の旗印のもとに行われていた政策は、旅行の自由がないなど、さまざまな点でたしかに問題がありました。しかしまた、いくつかの点ではひじょうにうまく機能していたことも否定できません。それはとくに社会福祉の分野、そしてもうひとつが文化の分野です。

もちろん、私も問題解決のための特効薬を知っているわけではありませんが、ひょっとしたら、旧東ドイツでうまく機能していたところと、統一後、急激に東部ドイツに導入された諸政策とを上手に組み合わせる努力は、やってみる価値があると思います。少なくとも、現在のような状況では、すべてがあまりに複雑困難です。

郡司:日本はいま、旧社会党も含めてほとんどの政党が保守化してしまいました。左派といえるのは共産党だけです。保守派の政党はみな大企業と結びつき、大企業の利益のみを優先しますから、自然破壊や公害の問題、また価値観の基準が経済的なものに偏った結果として、青少年の非行問題が深刻化し、さらにあらゆるものの価格が高くなってしまいました。たとえば今夜コンサートを行った東京芸術劇場など、公立の施設であるにもかかわらず借り賃は一晩80万円(注3)、サントリーホールのような民間の施設では客席一つが1000円、つまり2000人入るホールなら200万円もします。そのため、われわれの活動もひじょうにやりにくくなっている。もう大きな組織しかコンサートを開けない状態です。

ロッチュ:ドイツでも、このところコンサートホールは値上がりしています。いまではゲヴァントハウスで、たとえば解散さえしていなければビートルズとか、マイケル・ジャクソンでもコンサートを行うことが可能になりました。それはクルト・マズアがオーケストラの音楽監督だった時代、東ドイツ時代には絶対にありえないことでした。ゲヴァントハウスは芸術を司る女神ミューズの神殿であり、とにかく特別な場所とみなされていたからです。当時はまだ工面できる程度の借り賃でしたが、今日ではゲヴァントハウスも自主運営していかねばなりませんので、おそろしく高くなっています。こうした状況がどこまで進むのか、私には見当もつきません。

もちろんいまではスポンサー探しも重要で、ドレスナー銀行のようなスポンサーが資金をいくらかずつ出してくれることによって、まだなんとか文化が存続しているという状態です。ですからホールの問題は日本だけの話ではありませんが、しかし一晩で200万円とは、これは日本のほうが事情はきびしいようですね。


注(2)ドイツ統一は、実質的にはドイツ民主共和国(東ドイツ)がドイツ連邦共和国(西ドイツ)に併合される形で行われた。旧東ドイツ地域に旧西ドイツと同様、州を主要な行政単位とする連邦制度がしかれ、統一後の国名も旧西ドイツの国名を受け継いだため、旧東ドイツ地域は「新しく連邦に加わった諸州」の意味で「新連邦州」とよばれる。戦後の世界的な東西対立の最前線として分断の憂き目を見たドイツとしては、統一後の両地域をなんと呼ぶかという問題では、「東」と「西」という言葉を避けたいという気持ちが強く、さまざまな工夫のすえに「新連邦州」ならびに「旧連邦州」といういい方が公式に定着したものである。「新」という単語にはなにか肯定的な響きがあるため、現状との落差を皮肉って、ロッチュさんは「耳障りのよい名前」と表現されたのだろう。

注(3)このインタビューが行われた約四か月後に、東京芸術劇場大ホールの一日の使用料をこれまでの2.1倍に引き上げるという案を、東京都財務局が作成していたことが明らかになった。


※この小冊子は1997年に作成されたものです

編集:郡司 博

通訳・翻訳:竹内 晴代

発行:新星日響合唱団 東京オラトリオ研究会