「風に寄せて」 

2025年11月14日

風に寄せて

立原道造 詩

 その一

さうして小川のせせらぎは 風がゐるから

あんなにたのしく さざめいてゐる

あの水面(みづ)のちひさいかげのきらめきは

みんな 風のそよぎばかり……


小川はものをおし流す

藁屑(わらくづ)を 草の葉つぱを 古靴を

あれは風がながれをおして行くからだ

水はとまらない そして 風はとまらない


水は不意に身をねぢる 風はしばらく水を離(はな)れる

しかしいつまでも川の上に 風は

ながれとすれずれに ひとつ語らひをくりかへす


長いながい一日 薄明(はくめい)から薄明へ 夢と晝の間に

風は水と 水の翼と 風の瞼(まぶた)と 甘い囁きをとりかはす

あれはもう叫ばうとは思はない 流れて行くのだ

  

  その二

風はどこにゐる 風はとほくにゐる それはゐない

おまへは風のなかに 私よ おまへはそれをきいてゐる

……うなだれる やさしい心 ひとつの蕾(つぼみ)

私よ いつかおまへは泪(なみだ)をながした 頰(ほほ)にそのあとがすぢひいた


風は吹いて それはささやく それはうたふ 人は聞く

さびしい心は耳をすます 歌は 歌の調べはかなしい 愉(たの)しいのは

たのしいのは 過ぎて行つた 風はまたうたふだらう

葉つぱに わたしに 花びらに いつか歸つて


待つてゐる それは多分 ぢきだらう 三日月(みかづき)の方から

たつたひとり やがてまたうたふだらう 私の耳に

梢に 空よりももつと高く なにを 何かを くりかへすだらう


風はどこに 風はとほくに けれどそれは歸らない もう

私よ いつかおまへは ほほゑむでゐた よいことがあつた

おまへは風のなかに おまへは泣かない おまへは笑はない

  

 その五

夕ぐれの うすらあかりは 闇になり

いま あたらしい生は 生れる

だれが かへりを とどめられよう!

光の 生れる ふかい夜に――


さまよふやうに

ながれるやうに

かへりゆけ! 風よ

ながれのやうに さまよふやうに


ながくつづく まどろみに

別れたものらは はるかから ふたたびあつまる

もう泪するものは だれもゐない‥‥風よ


おまへは いまは 不安なあこがれで

明るい星の方へ おもむかうとする

うたふやうな愛に 擔はれながら

一緒に歌いましょう

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