バッハ『マタイ受難曲』とヴェルディ『レクイエム』
ヴェルディ『レクイエム』とバッハ『マタイ受難曲』の練習をこの一週間休みとしましたが今週土曜日より再開いたします。感染者数が増える可能性もありますが、それぞれ対策をしてお集まりください。
<郡司博 マタイとヴェルレクを語る>
過ぎ越しの祭りを二日後に控えイエスは十字架にかけられるために捕縛されることを語るが、弟子たちは無関心と無知によりその緊迫した状況を理解できない。そして裏切り、告発、捕縛、偽証、判決を経て、イエスは十字架への道を歩む。ここで語られるイエスを裏切った弟子たちとは私たちのことなのだ。
バッハは
ソリストにオーケストラつきレツィタティーヴォとアリアを歌わせ、神とイエスの慈悲に近づこうとする。
合唱はイエスに寄りそいつつ共感をひろげる。最後に「あなたの死の枕はわたしの心だ」と呼びかける。
その3時間のドラマは息も切らせぬ緊迫感で進行する。この作品は、何度挑戦してもつきることがない。我々が営む現実社会となんら変わりがないからだろうか。
バッハが綴った音符をひとつひとつたどり、この宗教的事実を今生きる私たちのこととして心に焼き付けてみたい。
※マタイ受難曲のコラール13曲は、もともと単旋律で歌われてきたものですが、バッハは下3声を伝統的な対位法や和声を駆使し、言葉を音楽化することに成功しました。とくに下3声も全員が歌えるようになるのが重要と考えています。
他の合唱曲は物語の各場面で主体、役割が違いますので、そのことを理解しながら歌うと表現の幅が広がると思います。その基礎となるのはドイツ語の発音です。近日中に資料、発音の録音などを用意したいと思います。
ヴェルディは
冒頭のイ短調でのチェロ導入での合唱の「レクイエム」を全く無視するかのように、「怒りの日」で木管楽器、金管楽器、打楽器の狂乱とすべての弦楽器の急降下によって、神の降臨による怒りをつきつける。四人のソリストが神の怒りを鎮めるが如く祈りの歌を繰り広げ、合唱がそれに続く。そして二重合唱によるサンクトゥスを中心に、リベラメでは地獄の刑罰からの解放を断固として主張する。そして冒頭で始まったイ短調が平行調のハ長調で最後を結び神の慈悲にたどりつく。ヨーロッパ中を席巻していたオペラ作家としての真骨頂の大傑作である。
ヴェルディとバッハに共通したものは
末端で生きなければならなかった社会的弱者の視点で世界をみつめたことではなかろうか。
今から 150年前に ヴェルディのレクイエムがイタリア、ミラノで初演され、それからほぼ150年前にバッハのマタイ受難曲がライプチィヒで初演されたことを考えるとこの300年はまさに地続きの時代といえる。わたしはこの二つの作品を[そんなつもり]で歌いあげたい。
Jリーグで20年間主審を務め惜しまれながら引退した家本政明氏は、「サッカーの本質とは何か?」という質問に「自己表現と人間の喜びの追求です。プレイすることは生きることと同じです。社会的な生き物である人間は誰かと関わり理解し合い共に何かを作りその中で自分の存在意義を示すそれが人としての喜びです。」と語っている。
私たちは感染予防につとめながら、練習を再開いたします。
■バッハ『マタイ受難曲』
東京オラトリオ研究会 FB
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シュティーエンバッハコーア
■ヴェルディ『レクイエム』
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