第6章
6.「第九」、「四季」との共通点
ベートーヴェンもハイドンもそれまでの常識にとらわれない試みを行っています。それは歌詞にあります。教会権力の強い縛りの中、声楽曲の歌詞は聖書から引用されたもの、あるいは宗教的な題材がほとんどでした。ベートーヴェンは、フランス革命の基本の啓蒙思想を背景にもったシラーの詩を自らの言葉をまじえながら「第九番交響曲」の最終楽章に合唱を導入しました。ハイドンもまた教会や宮廷の支配する音楽会での公職を辞したのち、農民の生活を描いた歌詞を用いて、自然を愛し、怖れ、感謝をささげる壮大なオラトリオ「四季」を作曲したのです。ハイドンはヘンデル『メサイア』がイギリスで圧倒的な評判であったのを体験し、刺激を受け、2つのオラトリオを完成させ、特に自由詩に作曲する手法はモーツァルト、ベートーヴェンにも繋がり、ブラームス『ドイツレクイエム』やシューベルト、シューマン歌曲へと膨大なクラシック音楽の「オーケストラ付き声楽作品」へとつながっていくのです。
この『四季』の歌詞作成に尽力したのが、スヴィーテン男爵です。モーツァルト版『メサイア』の作成にも深くかかわった人です。今や多くの人に歌われている『レクイエム』を書いたモーツァルトの葬式に駆けつけ、お金がない未亡人コンスタンツェに代わって葬儀費用を支払ったのはこのファン・スヴィーテン男爵でした。蛇足ですが、妻はこの葬儀には出席しなかったのです。夫の死から16年後に再婚相手が亡くなり、さらにその1年後にモーツァルトの墓参りをしようとしたところ、もはや埋葬された場所は不明でした。
つづきは 7.「第九」とわたし 最終章