『マタイ受難曲』

2022年10月16日

バッハは社会や時代の矛盾を見据える、見識のある作曲家だと 私は思う。『マタイ受難曲』が、民族、宗教、宗派、時代を超えて 人々を魅了してやまない理由はそこにあるのではないだろうか。 バッハ生誕は1685年、9歳で母、10歳で父と死別し、孤独な少 年時代を過したと推察できる。当時のドイツは、三十年戦争 (1618-48 年)後の荒廃著しい時であった(戦争の結果、ドイツ人 口は、1600 万人から 3 分の 1 減少して 1000 万となったと言わ れる)。そしてカトリックとプロテスタントの間の対立構造は、現代 でも依然続いている。 バッハが生きた時代、神との対話は間接的なもので、<神>と <人間>との間には為政者が立ちふさがり、為政者と体制に対 し強い対抗意識がバッハにはあったのではないかと思う。本来 <神>と<人間>は個として直接向き合うべきものなのだ。し かし、その主張は神聖ローマ帝国、教会、領主の存在を危うく するかもしれない。イエスの状況も同じだったのではないか。ロ ーマやユダヤ教の支配層の力が神と人間の間に入り込むこと の非を、イエスは黙することで糾弾する。イエスの教えの奥義 は「沈黙」の中にある。福音書の文字には表現されなかった が、イエスが伝えたかった神と人間のかかわりのあるべき姿が そこにあった。バッハはそれを明確な言葉(歌詞)と芸術性の高 い音楽によって表現し、聴く者、歌う者に罪から解放される自由 を知らせたのだ。 『マタイ受難曲』での音楽発信は、宮廷、領主、貴族など支配層 にとどまらず、すべての人々に向けられたものである。農民 の間で親しまれた舞踊音楽を彷彿させる 8 分の 6 拍子のリズム、 一般信徒が歌い継いできたコラールの施律、これらはマタイを 構成する重要なアイディアの 1 つではなかろうか。 バッハは音楽的に人を惹きつけるものを最大限に活用してい る。イエスの受難の物語が進行するとともに音楽は迫力を増し、 美しい施律が感動を呼び、聴く者の心をつかんで離さない。そ の高度な作曲技術をもって作られた『マタイ受難曲』はバッハの 最高傑作と呼ばれるようになる。 確固たる音楽的土台の上にバッハは「愛ゆえに、愛をもって神 は人間の弱さに寄り添う」というメッセージを発信した。これが、 『マタイ受難曲』の根幹となる哲学なのだ。 ソプラノのアリア《Aus Liebe》で、神の愛は惜しみなく私たちに 注がれていることが歌われる。ここでは通奏低音が消え、人間 の知性や理性を超えたところでの神と人間の直接の結びつき が表現される。バッハは、神と人間の関係性は直接的であるべ きで、いかなる政治的、宗教的権力の介在もあるべきではない と考える。これはバッハの信念といえるだろう。 『マタイ受難曲』の最後のアリアはバスによって歌われるが、 《Mache dich》は、イエスの死を自らの心の中に受け止め、埋葬 する。「それ以外に神と直接向き合い、つながる術はない」と強 いメッセージを残す。 300 年生き残ってきた『マタイ受難曲』のもつ普遍性とは何か。 高度な芸術性に裏付けされ、現代の私たちが抱える問題をも 解くヒントを、この作品は有していると思えてならない。 (郡司)